母 2

2018年3月3日

美味しいミカン大量に手に入ったので、お礼の気持ちとして母の病院へ持って行った。
快く受け取ってもらい、母の病室に行くと苦しそうな呼吸をしている母が。
近くにいる介護士さんに訴えると、風邪気味で痰が絡んでいると言われる。
それにしても苦しそうなので、吸引をお願いしたりしていると
看護師さんが来て「先生からの話があるので他の家族の方も呼んでもらえないか。」とのこと。
姉に電話をし、到着まで母に付き添ったり上の子の暇つぶしにコンビニに行ったりした。
1時間ほどで姉が到着したので先生の話を聞く。
母をどう看取ってあげるかの話だった。
苦しませることなく延命処置をせずってことで話をつけた。
私も姉も、母はもう長くないのだと覚悟した。
先生の部屋から出ると、母は個室に移されていた。
呼吸が楽になったようで苦しそうでは無くなっていた。
父にも今の状態を電話で説明すると、そうか、と返ってきた。
病室に上の子を置いて廊下で姉と明日の事を話した。
私は朝から来ること、父も昼には来ること、姉は仕事の調整をすること。
話が終わって病室に入ると、上の子が母の顔を覗き込んでいた。
「もうしんどくなさそうだね」と手をさすりながら母を見ていた。
私は母に顔を近づけ「明日朝また来るよ。さっきはちょっとしんどかったね。
でもよく頑張ったよ」と声を掛ける。
姉も同じように声をかけ、三人で「じゃあね」と部屋を出ようとすると
母が言葉にならない声を上げた。
顔も私たちの方を向いていて何か言いたげな声。
慌てて母に駆け寄り「どうしたん?」と聞くと再び声を上げる母。
何を伝えたいのかはわからなかったけど「うんうん、そっか」と頭や頬をなでる。
しばらくそうしていると、疲れたのか目を閉じて眠っているようだったので
「また明日ね」と声を掛けて病室を出た。
詰め所に寄って何かあればすぐに連絡くださいと伝えて病院を後にした。

2018年3月3日23時40分

子供たちも早々に眠りにつき、私も寝入ってしまっていたときに電話が鳴った。
父からで「お母さんが急変した。家出れるか?」。
主人を起こし、上の子を任せて下の子を連れて病院へ急ぐ。
途中何度も何度も「もうちょっと待って!着くまで待って!」と泣きながら向かった。

2018年3月4日0時10分

病院に着くと、ベッドが詰め所の隣に移動されておりベッドの横で父が立っていた。
ゆっくり近づくと父が「お母さん、亡くなったよ」。
そっか・・・と口からは出てきたものの体が動かない。
父に「お父さんが着いた時は?」と聞くと「着いた時にはもう・・・」とだけ。
誰も間に合わなかった。
お母さんは一人で逝ってしまった。
悲しくて悲しくて涙が止まらなかった。
泣きながら母の手を触ると冷たくて固くて。
でもゆっくり悲しんでいる暇はなくて、荷物を整理し処置室で服を着替えさせてもらったり
母を実家に連れて帰ってあげる段取りをしなければならなかった。
父にはすぐに帰ってもらい、布団の用意を任せた。
私は父から聞いていた葬儀屋さん(互助会に加入をしていた)に電話をし
寝台車の手配をしつつ、姉に連絡をとった。
深夜だからか下の子は抱っこ紐の中でスヤスヤと眠っている。
そうこうしているうちに母の着替えやケアが終わり、顔にお化粧をしてあげる。
あまり綺麗にはしてあげられなかったけど少し華やかになった。
3時、寝台車が来て母を実家へ帰してもらった。
姉と連絡が取れ、用意出来次第実家に来るように伝える。
自分も実家に戻り、実家の布団で横になる母の隣に座る。
「おかえり。久しぶりに帰ってきたね」
そう言いながら頬を撫でる。
それから朝まで母の隣で父と色んな話をした。

朝、姉が到着し、約束した時間にきた葬儀屋さんと打ち合わせなどをする。
主人や上の子も来て下の子を見てもらいながら色んな事を進めた。
気づいたら深夜で、姉は私に一旦自宅に帰るように言う。
丸一日食事も睡眠も取らずに過ごしていたのを気かけてくれたらしい。
下の子も寝るときはずっと抱っこ紐で、布団に寝かせてあげたいというのもあって
お言葉に甘えさせてもらって自宅に帰った。

ここからの記憶は曖昧で、喪服の準備をしたり葬儀屋さんに花の注文をしたり。
細かいことは姉が色々話をつけてくれたよう。
私たちも実家に戻り、母を葬儀場へ見送り、お通夜を済ませ、告別式を済ませた。

その中で一つ印象に残っているのは、母をお風呂に入れてもらったこと。
いい匂いのお湯で体を洗ってもらい、とても綺麗な着物を着せてもらって
顔をマッサージして化粧をしてもらった。
すると、本当にただ眠っているかのような母の姿がそこにあった。
私の記憶にある元気なときの母。
本当に穏やかな顔で横になっていた。
これには葬儀場の方々に感謝しかないです。

その後、母は骨になり再び実家に帰ってきた。

それからは49日法要の準備をしながら毎週参ってくれるお坊さんの話を聞いたりしていた。
何かをしていないと色々考えてしまい、つらいというのもあって
サーバーを借り、ブログの移転を始めた。
メロンのころたんも植え、何かしらするようにしていた。
49日法要も無事に終わり一息ついた5月。
街のいたるところに「母の日」の文字。
毎年の癖で「今年は何を贈ろう?」と考えた後
「あぁ、今年からいらないんだった。お母さんいないし」と変な感じになってしまい
ある日突然、強烈な喪失感が私を襲い、思うように体が動かなくなった。
普通の日常に戻りつつあった毎日が苦痛でしかたがなかった。
それでも時間は過ぎていくので、何度か踏ん張って子供たちのこと、家のことをこなした。
けれど、その他は何もやる気が起きなくて気が付くと涙が出る始末。
そんなこんなしているうちに、ころたんの時期は終わり、猛暑も去って今現在に至る。

この文章を書き始めたのが8月の頭で、書くことで気持ちが落ち着いたらいいなと思ってはじめました。
でも後半になるにつれ、涙でうまく前が見えなくて中断中断を繰り返して今日までかかりました。
気持ちの整理が完全についた訳ではないですが、これから少しずつブログを再開出来ればと思います。

あ、後日ですが、母の病院に改めてお礼に行った際、
母の最期を看取ってくれた方にお会い出来、様子を聞くことが出来ました。
呼吸が乱れたり、苦しむことなく、本当に眠るようにスッと呼吸が止まったそうです。
その瞬間には立ち会えなかったけれど、人を通じてその状況が聞けて良かったです。
たくさんの方にお世話になり、手助けしてもらって感謝してもしきれません。
父は実家で飼い犬とで元気に過ごしています。
私も子供二人連れてちょこちょこ帰っています。
ゆっくりになるとは思いますが、書きたかった記事などをまとめていきたいです。

長い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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