2016年11月17日
自宅前で転倒。
脳出血のため、血を抜く手術をする。
術後も目は開いているけど意思疎通が取れず。
経過を見てリハビリ系の病院に転院。
2017年1月6日転院
リハビリ系病院ではさまざまな試みをしていただき少し言葉を発するようになる。
このままこの病院にお世話に…と希望をしても
リハビリ系の病院は最長180日と滞在期間が決まっている。
その後はまた病院を探して転院しなければならない。
限られた時間の中で、母は色々な人に支えてもらいながらリハビリを頑張っていた。
自分の出産も迫っていたため、5月1日に母の日のプレゼントを持って行くと笑ってくれた。
口から栄養が摂れないので鼻からチューブを入れていて
そこから食事を流し込む方法をとっていた。
胃瘻にする話も出ていたけれど
さまざまな理由により、このまま鼻からチューブで過ごすことに決まる。
2017年5月4日
下の子を出産。
しばらく母のお見舞いに行けなくて、状況のみ父から聞く。
次の転院先をどうするかという話が徐々に出てくる。
母の持病や鼻からチューブで食事をしている兼ね合いで転院先の病院がかなり限られてくるらしい。
2017年6月4日
1ヶ月健診が終わってその足で母の病院に。
ちょうどリハビリ中で器具に乗せてもらって身体を起こしている母に孫を見せると、
手を伸ばして触ってくれようとする。
しかし首が座っていない赤子を器具に近づけるのが難しかったので、
代わりに私が母の手を握ると声を出して笑う。
2017年6月7日
リハビリ病院に居られるタイムリミットが近づいてくる。
次の病院を決めないといけないのでリストアップしてくれた中から選択をして
ベッドの空き状況などを確認してもらい、いつから入れるか相談して次の病院が決まった。
父が住む実家から自転車でも行けそうな距離で、身の回りの全ての物がリース契約。
雨の日に洗濯物の心配や、オムツの残りの心配などをしなくてもいいね、なんて父と話をした。
姉は病院の評判など調べてくれて実際の転院手続きもやってくれた。
2017年6月15日
母の誕生日。
下の子を連れて病院に。
翌日が転院なのでプレゼントは持って行かなかった。
母は眠っていて、たまたま来た看護師さんと話をした。
起きている母は表情が豊かになってきていたこと。
脳の問題で言葉はハッキリ話せないけど、何となくわかる言葉も出ること。
大きな声で笑い、愛嬌があること。
だけど、次の病院ではほとんどリハビリをしないこと。
そうなると本当の寝たきりになってしまうこと。
…覚悟はしていたのだけど、他の人の口からいざ聞かされると胸が締め付けられて苦しくなる。
今までのお礼を伝えて病院を後にした。
2017年6月16日
いよいよ転院の日。
リハビリ病院にお礼を伝えると、頑張ってリハビリしましたっていう賞状がもらえた。
母に見せて、ベットに置いてあげてそのまま移動。
姉は先回りして転院先で手続きをしてくれていた。
色々説明をしてもらい、これからの方針を確認する。
感じのいい人達ばかりで安心して母を任せられた。
4人部屋の窓際のベッドで、外の景色も緑がいっぱいで綺麗なところ。
病院自体も新しくて綺麗。
多分ここが母の最期の場所になる。
それからは、時間があれば母の元に通った。
下の子の首が座った頃、母の隣に寝かせて上の子も寄り添って一緒に写真を撮った。
その写真を見せると嬉しそうに笑ってくれた。
ある日、帰り際に「また来るねーバイバーイ」と言うと、麻痺の残る手で手を振ってくれた。
それが何だかとても嬉しくて、上の子にもう一度声を掛けてもらって手を振る姿を動画に撮った。
下の子と二人で行った時は、「この子○○って名前よ。呼んであげて。せーの」と耳元で言うと
かすかな声で「○○」と呼んでくれた。
とにかく母との時間を少しでも取りたかった。